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2004/5/28/FRI.■「苛つく」のは、こうした情報を比較する評価基準が、ないからだろう。手探りでやっていることに、憤懣を感じているわけだ。これはよろしくない。フラストレーションが、たまるだけだ。きのう、参議院のなんかの委員会で、小泉が自分の「浪人時代」の給与の現存する支払者に対して、「墓参りに行きたい」と言ったという。 2004/6/3/THU, ■岡田克也・新民主党代表として、小泉純一郎・首相の「初対決」が、昨日の「衆議院行政監視委員会」なるものであった。が、正攻法でサラリーマン時代の年金支払いや給与形態を問い、謝罪を要求する岡田に対し、「謝罪する必要はない」と、一蹴する小泉の論調が際だつ。以前から、「変人ぶり」は、いわれてきたことだが、この一連の論理、強弁は筋金入りのモノだ。生半可な「正攻法」では、突破できない。たぶん、民主党やほかの野党なども、「国民に信を問う」というようなところに、問題を持って行かざるを得ない、そんなことだろう。つまり、突破できないのだ。一般社会の「常識」を前提にしただけの論理なんぞ、屁の河童という連中に対しては脆弱な、論弁体型しか持ち得ていないのだ。論理以前の論調。つまりは、「個の論理」強さなのだ。 ■[・・・]話を戻す。小泉の論理は、「むちゃくちゃ」なのだろうか。そうではないのだ。そこらあたりの計算はできているのだ。30ねんも、40ねんも前のことをほじくり出して責任を問うなぞという感覚が間違っている、というようなものだ。ほかにもいろいろあるが、それをはぐらかしとか、そういった種類の批判しかできないというのは、コトバの商売人としては、はなばた非力であることの証明以外の何ものでもない。こうした「無茶苦茶な理屈の世界」が、自民党にはあるのだ。その訓練の場があるのだ。そうしたことを許容する社会があるのだ。小泉がいう、「人生いろいろ、会社もいろいろ」でなかったら、どうなるか。それを許さない社会が、どういう社会であるかを連想させるのだ。突破できないのは、この「論理」、この「理屈」なのだ。そして、正攻法であれば、あるほど、その非力、説得性としての非力さを示すことになるのだ。(breton.つづく) ■それにしても、きょうの、参議院厚生労働委員会での強行採決にまでなると、もういいかげんしてくれとなる。そしてあすの、参議院本会議での採決だろう。この顛末のいっさいに対してなにもできない野党というのもおかしい。弱みを握られている、といことだ。金玉にぎられ、つぶされるかも知れないということだ。ポイントは、「共済年金」だろう。野党の、かれらの「背景」がなんなのかが、はっきり見える。それがあるから、小泉の「答弁」の正体が見えてくるということか。変人の極意か。 ■「策士策に溺れる」安部自民党幹事長がいう。はたしてなにをかいわんや、なのだ。もうすこし、高い見地からものをいう、みる必要があると言うことだろう。政治不信、政治家不審のおよぼすところは、歴史の示すとおりだ。それを意図してやっているとは思えないが、小泉純一郎というヒトの「答弁」は、すでに答弁ではない。末期的症状と言うべきモノかも知れない。はたして、こうした状況を突破できるのか。 # by kbwgb834 | 2004-05-28 05:03
<「言語都市・パリ」和田博文ほか4人の著作、藤原書店、3800E,2002.3->。アラン・コルバンのものを集中して読んでいる。基本として、ヨーロッパ、フランス、そしてパリの時系列的な、空間的な、知識は最低必要とされる。この「言語都市・・・」も、そうしたものとして、併読中。が、これは、パリを訪れた日本人、明治から戦後、現代までの著名人の「格闘」する姿を活写したモノだ。[・・・・]なかなか興味深いものがある。作家、画家などの「芸術家」が多いが、必要に応じて、それ以外の政治家なども、ほうりこまれている。現代との落差は、国家としての経済力の違いだ。これは決定的な、訪問者の意識のベースを形成している。観光ならまだしも、生活をともなう、「現実」として対峙する時の都市(Paris)は、容赦ない態度を示すのだ。戦前の「幸福な時期」には、400人ほどの画家がいたというが、そのなかで絵描きとして「食えていた」のは、藤田嗣次゛はくらいのものと、素っ気ない。困窮は、経済ばかりでない。精神的にやんでいく姿が、いくつも重なっている。大杉栄、佐伯祐三などは、以前からの関心をもっていたものだが、今回の金子光晴・森三千代・(夫妻)には、圧倒された。[・・・・]金子という「濃い人間」の存在自体が、時代物と思えるほどだ。[続] * The thing of the Alan col bian is concentrated and read. As foundations, the spatial knowledge with serial Europe, France, and Paris is minimum needed. This "language city ..." is under reading several books at the same time as such a thing. が and this are the monochrome which made a vivid description of the figure which carries out "a grapple" of the celeibrities by the present age after the war from the Japanese who visited Paris, and Meiji. [....] There is a very much interesting thing. Although there is "many artists", such as a writer and a painter, the other politician is also thrown in if needed. The fall with the present age is the difference in the economic strength as a state. This forms the base of a caller's decisive consciousness. if it is sightseeing, it is [ the city (Paris) when confronting each other as "reality" accompanied by a life ] merciless better -- an attitude is shown Although it is said at "the happy time" of prewar days that there were about 400 painters, Fujita tsuguji ゛ of "it had eaten" is as aloof as the thing of an about as an artist in it. Poverty is not only economy. Many figures from which it suffers mentally have overlapped. Although the Osugi sakae, Yuzo Saeki, etc. had the concern from before, he was overwhelmed by this Mitsuharu Kaneko and mori-michyo -(husband and wife). The existence of "deep human being" called [....] Kaneko itself is like [ which can be regarded as an antique ]. [contenue] # by kbwgb834 | 2004-05-25 15:15
![]() ●「多函銭」といえば、「お賽銭」、「六文銭」を無理矢理、思いだす。真田の紋章が、「六文銭」で、それは三途の川の渡し賃、からきているという。二八の十六文銭は、「時そば」。江戸・計画・統制経済のなかで、物価上昇はないにひとしい。経済の活性化が促され始めると、やおら幕府は、「風紀紊乱」とかなんとかで、そうした「風潮」を押さえ込んでしまうのだ。「江戸の三大改革」といわれるものも、結局商品経済化を必死になって阻止した現れでしかない。余談に過ぎたが゛、それにしても六文銭が、渡し賃とは安すぎる。江戸庶民の死生観の一端を示すモノかも知れない。そこはかとない、冷え冷えとした死生観である。これだけみれば、吉原・娼婦の無縁仏の常閑寺の光景も、これらの延長にあるモノかも知れない。ともかくも「多函銭」は、そのもじりなのだ。ご当地意識もある、F・L・ライト・の移住地、タリアセンも語感・意識の範囲だ。タバコの害は世界的なモノとなってしまった。いつまで吸うのかはわからないが、「反発」を含めて、「tabacco-sen」だ。 ●日本・マクドナルドの創設者、「藤田田」も昨年、リタイアした。東大法学部卒の、かれが外人相手に、「オレは、東大法学部卒だぞ、」といい、全然相手にされなかった、というエピソードからはじまる「伝説」の男。三越・銀座・店頭に、MAC1号店を開設。「歩行者天国、今となつては懐かしい響きすら在る、ホコテンでの、ヤング路線を踏襲した戦略は、功を奏す。まさに「勝てば官軍」だった。わたしのこれらの、当時の<情報ソース>は、「講演草稿」でした。生原稿、ほんにんCHECKの、リアルそのものに発憤のころ。1975年、当時は毎週一度以上は、ANAか、JALに乗っていた。羽田空港の売店で買うものは、「アメリカンのサクセス・ストーリー」ばっかし。飛ぶがごとし。文字どおりの世界。札幌・松山・大阪・・・・と。プレテ、現場、・・と。毎日毎日、帰宅は深夜の一時二時。充実と不在感の日々。 ●「嘘つきのマルタ人」の話は、「詭弁論理学」中公新書版からのもの。いまでも売れていると思う。アガサ・クリスティが使いそうな、トリック満載の本です。いちど読んでみてください。わたしが読んだのは、1970年代のはじめのころ、ケンブリッジ大のバートランド・ラッセル卿が、言い始めた[タイプ]理論だが、後、天才的な言語学者、ヴトゲンシュタインにより、否定される、そうした代物です。[・・・・] ●いまのわたしは、「ああ、こういうことだったのか」というような、「過去の知識」を、捉え直す、解釈し直す、ような境遇にあります。20~30歳くらいの時期に読んだものの「反芻」です。かつて、知己の編集者に、そうした意味合いのことを話したことがある。その時、その編集者は「楽しくてしょうがないでしょう」とだけ言った。知識の断片が、組み合わされていく過程。そこでは深夜、樹木がギジギシ音を立てて結合する、もちろんそうしたことはないが、そんな心象風景をもっていた。 ●これがなかなかおもしろいのだ。だから、峻別されるべきモノは、思いつきだけの「断片」なのだ。good bye,breton. 2004/5/27/THU.「河北新報」くる。 選挙もちかい。それにしても、例の菅直人・民主党代表の江角マキコ批判以来の一連の「騒動」、・・・・・・この顛末が、最終的に、小泉純一郎・自民党総裁・首相の北朝鮮再訪問になったのだ。このドタバタを、どうみるのか。後半で、桜井充の首相とのやりとりがあった。かれのHPは、その後「音無し」状態だ。自分の年金未納もあり、党代表の二転三転では、「身の振り方」、言動もあやしく覚える、ところだ。こうしたお笑い、情緒的な変動は、日本的特性とも言える、どこまで、これらの力関係を的確に捉えたところで、説明する能力があるか、ということだ。曖昧模糊のまま、だ。 わたしが、このごろ念頭に置いているのは、「無頼派」とか言われた連中の事実把捉の的確さなのだ。いま思えば、「時代錯誤」と見まごうかも知れないが、かれらの論理の確かさ、強さを思うのだ。そこにあったのはなにか。時代だけのことではない。「民主主義」という、他己主義のなかで、蔓延ってきたモノだけがここにある。「手応えなし」ということになる。 そうしたところに、今東光、竹中労、佐伯祐三も・・・・などがいる。 金子光晴、もだ。「時代の産物」と一概に言えないのだ。 # by kbwgb834 | 2004-05-25 13:58
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