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![]() アラン・コルバンの主要な著作を立て続けに読んでいる。 ○「風景と人間」 ○「音の風景」 ○「においの歴史」 ○「浜辺の風景」 ○「娼婦」 が、やはりフランスの、大陸(コンチネンタル)の、パリの「歴史」の基本じゅうぶんに、頭に入っていないと、理解できない、わからない。事象の関連は、流れは表記されている範囲でわかるが、その動機などについては、単なる受容するだけのことでしれをかないということだ。 たとえば、革命前夜のJ・J・ルソーのことだ。「エミール」「社会契約論」などのことから反逆者、異端者と化していく。逃避行から、隠遁者の生活が、なにをかれにもたらしたか。晩年の周囲の理解を超える挙動、言動の数々。「告白」「対話」「孤独な散歩者」。ここにある、近代人としての存在のいみするもの、その葛藤、矛盾、経緯・・・・それらの系譜のときほぐしを試みる、ミシェル・フーコーの「壁の中の言葉」。フーコーの方法の手続き、W・ベンヤミンの夢想、そしてこの、アラン・コルバンの方法との関連、このことが大事なのだ。かれらがイメージ(夢想)ものこそ必要なモノだ。そのこと自体は書かれない。それを推測できるだけの事象に精通していることが求められるということなのだ。 そして、かれの信奉者、ロベスピエールのことだ。流動的な情勢、その変化の中で判断を求められる立場にいるかれ自身が、変化していく。[・・・・]群衆の求めるもの。その落差、差異、狂気の中で進行する惨状の数々に、恐怖心が増幅していく。革命、それはなにか。 アランメコルバンの仕事は、歴史へのあらたな手探り、触手の獲得であるといわれる。 文章家の陥りやすい、「弊害」ではないのか。C・G・JUNGの「関連本」にあった、<また騙されるのではないかという危惧>、というような表記、突っ込みが必要なのだろう。 by kbwgb834 | 2004-05-30 09:17
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